ボーダー

 巻ちゃんとならキスできると思う、と尽八が酒にまみれた口調で言った。
 オレはできないショ。答えると冷たいとぼやいて唇を尖らせた。唇は酒に濡れて赤く、ぷるぷると膨らんでいた。どっちがだ。オレがそれを想像したことがないとでも?言える筈もなく、巻島は顰め面で溜息をこぼし、うつむいた。
 視線の先には死屍累々といった態で酔いつぶれた友人達が転がっている。中にはハコガク出身の、レギュラーでなかった同級生もいる。巻島とは同じ大学で、今では一緒に山を登る間柄だ。
 東堂には一度も勝てなかったと寂しいような誇らしいようななんとも複雑な顔で笑い、いいなお前らは、と言ったその男は、あの夏に山で、自分と東堂の決着を目に焼き付けていた。
 東堂がテーブルにぐずぐずと平べったく伸びていく。溶けたマシュマロみたいに。肩まで伸びた黒髪が流れて赤らんだ頬が隠れる。
「尽八」
「んー」
「寝るなショ」
「んー」
 額を擦りつけながら横向きになって巻島を見て、笑う。
「まきちゃん」
 呼ぶなと思う。頼むから。そんなふうにいっそあどけない笑顔で。
「巻ちゃんは心配性なんだな」
 言いながら、戯れるように横にたらしていた腕をよろよろと重たげに持ち上げて巻島の髪を摘んだ。伸びた指先の硬い感触が額から頬へたどっていく。巻島は目を閉じた。感覚は強まり頭の奥から重石のような酩酊が押し寄せてくる。
 自分から手を伸ばして目の前のその頭を抱えた。勢いでテーブルからずり落ちた東堂と一緒に床に転がった。
 唇をぶつけるみたいにして噛みつきあった。合わせ目からは、は、と息が漏れる。そのたびに相手の口の中にはいって深く探って舐めあい、痺れるくらいに舌を吸った。ずっとそうしていたいと思った。東堂もそう思っているのがわかった。相手の頭を抱え込むようにして逃がすまいとする。離せば、きっと溺れる。
 キスできるような気がするだと。狙っていたのか隙を見せて誘い込んだのか。さっきから東堂の右手がわき腹から腰を何度も往復するのを払いのけながら、それでも巻島は東堂の唇を貪るのをやめようとはしなかった。
 いまここに二人きりだったなら、と思いかけて、そうでないのは幸いだったと、膿みきった頭の片隅で微かに残った理性が告げていた。
キスの日だったのでキス話。たぶん大学生。(11.5.23)
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