ぼくのせんせい complete edition
(2015.1.25)



―――すきなひとはいるのかのじょはいないのいままでなんにんとつきあったの。
どんなひととセックスしたの―――

1.



 ニコリともしないし皮肉屋だし、何を考えてるかわからなくて、感じの悪いやつだなあというのが最初にもった印象だった。
『で?それで結局アンディはどうした?』
『あー……レイコにあやまってちゃんと告白しようとして、花屋で黄色いポピーとピンクのバラを買って、えー…雨の中を走っていった』
「ま、そんなとこショ」
 テキストを閉じる。疲労感を隠そうともせず、ひとり掛けのソファにぐったりと体を沈め、グルンと首を回す。肩が凝っているのだろうか。変わった色合いの髪が背凭れの白いファブリックの上に広がる。男にしては白く細い首の、しなるカーブの角度に、なんとなく視線が吸い寄せられる。
 東堂の部屋だ。東堂は自分の机の前で椅子を背後に回転させて、巻島の質問に答えている。
「だがなあ巻ちゃん、そんなことでレイコがアンディを許すとは思えんな。少しほかの男と仲良く喋ったくらいで怒るなんて、狭量にすぎる。もしレイコがアンディを好きだったとしても、とっくに冷めてしまっているのではないか?」
「先生ショ」
「先生」
「そんなことはこのテキストには関係ねえな」
「教えてくれたっていいだろ」
 東堂が言うと、唇を歪めて面倒くさそうに目線をそらし、チッと舌打ちする。不機嫌をまるで隠そうとしない。
 毎週同じ曜日の同じ時間にやってきて定位置のソファにおさまり、東堂の拙い英語をつまらなそうに聞いている。うまく話せても無言で納得したように小さく頷くだけだ。わかりやすく褒めてはくれない。
「いい先生」というのとは違うと思う。気が合うとも思わないし、一緒にいてすごく楽しいというわけでもない。
 だのになぜか東堂は、この先生のことを、とてもとても気に入っていた。
「……そうだなァ、ま、打算が働けばレイコは花を受け取って謝罪を受け入れるショ。なぜってアンディは故郷で一番いい大学に通って、成績もいいって自分で言ってるくらいの、なかなか将来有望な男だからナ。レイコはそういうことも見越して、この留学生とつきあいはじめたんじゃねえの」
「先生、それは夢がなさすぎるというものだぞ」
「まァ、そこは中学三年生と一緒にされちゃ叶わねえショ」
「あと三週間で高一だ」
「はいはい、高一。おとなおとな。次、読めっショ」
 面倒になると、子供扱いで言葉を濁す。いつものことなので、東堂はふんと鼻を鳴らして、一応不満を訴えはするものの、おとなしく机にむかう。
 テキストを読んで訳して、終わると先生が、内容について英語で質問する。それに英語で答える。そういう授業スタイルだ。
「なー巻ちゃん」
 さらさらとシャーペンをノートに走らせながら問いかける。
「先生ショ」
「先生、普段は何をしてるんだ? 学生はもう終わったんだろ? 仕事って、うちのこれだけ? ほかにも教えている生徒がいるのか?」
「なんでそんなことが知りたいんだヨ」
「たんなる興味だ。教えてくれたっていいだろう? うちに来るようになってもう三か月だ。教われるのもあと少しだというのに先生のことを知らなさすぎてつまらないのだ」
「家庭教師のプライベートなんて知らないのが普通だ。気にすんな。黙ってテキストを読め」
「もう気になっているものを気にするなというのは無理な話だぞ、巻ちゃん」
「巻ちゃんじゃねえっつってんショ。ほら、集中しねえなら帰っちまうぞ」
 東堂は背を向けたままで唇を尖らせる。不満だ。どうしたらこの愛想のかけらもない先生から譲歩が引き出せるだろうかと、もうかれこれ三か月も考え続けているのだが、突破口が見出せないまま時間ばかりが過ぎてしまっていた。
 東堂は四月になれば早々に寮に入る。そのあと、巻島と会う機会があるかは疑問だ。そのことを思うと、東堂はふっと周りの空気が薄くなったかのような息苦しさを感じる。
 疑問はあったが、東堂はみずからの興味の赴くところに忠実な男であったので、理由なら「そうしたいから」のひとことでカタがつく。深くは考えなかった。
「じゃあ今は大人しくするから、そうしたらひとつだけ言うことを聞いてくれよ」
「……却下」
「生徒のやる気を促すのも仕事のうちなのじゃないかと思うぞ、先生」
 チッ、とまた大きな舌打ち。面倒くさそうだしつまらなそうだけれど、嫌われているという感じはしないのが不思議だ。それが教える立場を維持するためのテクニックによるものなのだとしたら、そこはすごいと素直に思う。
「……なに」
「やった。あのな、あの……、今日、うちで夕飯を食べていってほしいんだ」
「いやだ」
「……なんでだよ」
「人んちで飯食うの苦手なんだヨ」
「だっ、だけど、今日はオレとふたりだ。親が出かけるから。それならいいだろ? 問題ないだろ?」
 思い余ってシャーペンを投げ出し、グルンと椅子を後ろにまわした。静まった室内に、カラン、とプラスチックの固い音が響いた。
ソファの背もたれに頭を乗せたけだるげな姿勢を崩さないまま、顎をあげて天井を眺めていた巻島だったが、東堂の急な動きに驚いてかすかに目を瞠り、体を起こした。
自分でもなぜここまで必死になるのかよくわからない。
けれど、東堂はたしかに必死だった。ふと思いついただけの何気ない問いかけだったが、言葉にしてみたら、これは自分が切望していたことなのだとすぐに分かった。
 巻島はしばらく黙って東堂の顔を見ていたが、すぐに手元のテキストに視線を落として、感情の揺らぎひとつみせないで言った。「続きやれっショ」
「まきちゃ……」
「続き」
 東堂はしぶしぶ机にむきなおった。
返事は結局なかった。了承してくれたのかどうかわからず、東堂はそわそわと落ち着かないまま、何度も鼻を擦り、唇を舐めた。
けど、たぶん。東堂は思う。
たぶん、このひとは、中学三年生の子供が夜にひとりで食事をとる姿を想像してしまったら、断れない。
そういった性分の持ち主なのは、これまでのつきあいでじゅうぶん承知していた。





***





 一瞬の嵐をやり過ごし、体を水平に保つよう意識が働いたところで起きていることを冷静に考え、東堂はようやく認識した。キスだ。両二の腕を掴まれて抵抗を封じられ、口の中を巻島の薄い舌が這い回っている。
「んん……っ!」
 抗議の声は閉じ込められ、動くことも出来ない。絡め取られ、強く吸われ、わけがわからないまま、それでも体は自然と反応していく。みずから舌を差し出し、与えられたものを飲み干すように絡ませていく。
飲み込み切れない唾液が口の端を汚して顎をつたう。目の前がちかちかし、頭の中が粘性の液体で満たされたようにとろんと重くなっていく。
足は萎えたようになってガクガクと震えていた。巻島の指の握る力が強まる。東堂は強引に顔をそむけて一度逃れると、ハ、と息を吸った。またすぐ塞がれそうになるのを仰向いて逃れる。
「ま、待ってせんせい……、はなしてくれ、」
 あえぐ息の下から東堂は掠れ声で訴えた。痛い。両腕をぐっと強張らせると、巻島の手がわずかに緩む。
 唇を開けたまま触れ合わす。ぼやけた視界のむこうでは、巻島が薄く開いた瞼の隙間から東堂を見ている。
 尖った舌先に、窺うようにちらりと唇の内側をなぞられると、足の付け根のあたりがじわりじわりと痺れて、たまらなくなった。
 東堂は自由になった両手で、今度は反対に巻島の二の腕をとらえると、前に踏みだして体の距離をゼロにした。巻島がたたらを踏んで後ろにさがったぶん、東堂は前に出る。ドアに押しつけ、唇をぶつけるようにして、飲み込みながら深く差し入れ、巻島の口の中を夢中で舐めた。
 巻島は苦しげに眉根を寄せ、強く目を閉じて、東堂の愛撫を受けとめている。東堂は、ふうふうと息を荒げながら、我を忘れたように巻島の唇を貪る。
きつく吸われると頭の中が真っ白になる。絡めて、唇で挟んで引き入れる。唇は濡れてトロトロになって、ぽってりと膨らんでいる。離れて糸を引く唾液を啜り、舌先を丸めてくっつける。また深く合わせて探り合う。開いたり閉じたりしながら、何度も、何度も繰り返す。
 下半身は痺れ、熱を持ってほかほかしていた。こんなキスはしたことがなかった。眩暈がするほど気持ちがよくて、自然と腰が揺れてしまう。恥ずかしい。すごく恥ずかしいけれど、あまりにも気持がいいのでおさえられない。
んん、と鼻から抜けるような声が巻島の口から漏れるのを聞いたとき、東堂はもう我慢が出来なくなって、膨らんで固くなったその部分を巻島に押しつけると上下に揺すった。
あたった瞬間、巻島は少しの躊躇も感じさせない手つきで東堂の中心を手のひらで覆い、くすぐるように指先で撫ぜ、やわやわと揉んだ。
「あっあ……っ、せんせいっ、や……やば……っ」
ぎゅーっと目を閉じ、ブルッと大きく身震いする。巻島の手から電気が放たれているみたいに腰がびりびり痺れる。手のひらに擦りつけて腰を揺らしながら回すと、確かな形にそって、巻島の指先が焦らすように滑っていく。
「あ、やだ、……っあ」
 もどかしい。もっとちゃんと触ってほしい。東堂はさらに腰をくっつけ、巻島の口の中で舌をめちゃくちゃに動かす。
 と、巻島の反応が急に薄れた。いくら舐めても、吸っても止まらず、急速に熱を失ってしぼんでいく。東堂は焦り、引きとめようと追いかける。すると巻島がのけぞるように顔をそらし、東堂の顔に手をあてて引き剥がそうとした。















「巻島さん?」
 呼ばれて、ハッとして我に返った。
「青ですよ」
 スラッと背の高いスーツ姿の男が不思議そうな顔で巻島を振り返っている。
「すみません。ちょっと……ぼんやりしました」
 男は巻島の視線の先にあったものを目に留め、にこやかに笑って頷いた。
「自転車がお好きとは知らなかった。お乗りになるんですか?」
「いえ、たまたま目についたので……。すみません、行きましょう」
 繁華街の大通りに面したショウウインドウに展示された数台の自転車。華やかな色合いと優美な細いシルエット。信号待ちでふと振り返った瞬間、世界と切り離されたように、巻島はひとり時間をさかのぼっていた。
 三年だ。今はどうしているのだろう。箱根学園でどんな成績を残して、どういう進路を選択したのだろう。巻島は彼に関する情報に不用意に触れてしまわないよう、目も耳も塞いで、慎重にこの三年を過ごしてきた。
だから、想像のなかの東堂は今も中学三年の終わりの、あの姿のままだ。記憶の中に息づくだけの存在が、三年たった今もこうして時々、巻島の思考を支配して行動を奪う。
 男について、横断歩道を渡って細い裏通りをいくつか曲がる。
 前を行く男は、仕事で知り合った不動産屋の社長だ。巻島は現在、会社の飲食店部門の出店を主に担当しているため、店舗開発でずいぶん世話になっている。三十を過ぎたばかりと若く、年齢が近いこともあって、ときどき食事に出かけたりすることもあった。
 今むかっている場所も、この男に紹介された物件だった。だが今日は業務外だ。個人的に頼んで探してもらったものだった。
 仕事はそれなりに楽しく、やりがいも充実感もあった。経営者の一族ということでやりにくい面も多少はあるが、生来の気質から、周りの人々と多少距離があるくらいがちょうどいい。
 後継者というわけでもない気楽な立場だ。そのわりに融通も利く。多少の不自由さは範囲内だと思う。
 だからこれは、我儘なのだ。承知の上で、肩の力を抜ける自分だけの場所がほしくなった。自分の趣味を最大限に盛り込んだ、寛げる場所が。
「ここですよ」
 そう言って男が示したのは、一軒の古びたバーだった。



 目の前を横切った色合いに引き寄せられるように、東堂はふらふらと足を踏み出した。一歩、二歩。自動ドアが開く。休日の午後の繁華街の喧騒が周囲をとりまく。
「おい! 東堂!」
 呼ばれたのは分かったが、東堂は振り返らなかった。先へ先へと視線を飛ばす。行き交う人々が行く手を阻むように次々と目の前を横切っていく。踏み出しそこなった足を右へ左へと走らせると、横断歩道はすでに赤だった。目当てのものを探して、対面の歩道を凝視する。
「東堂ォ! 聞いてんのかオラ」
「うるさい。邪魔をするな荒北」
「はあ?」
「すまんがお前、これを持って、先に帰ってくれんか」
 荒北は自転車競技部のチームメイトだ。卒業を控えた二月の終わりの休日に、もう一人のチームメイトにつきあって三人で買い物に出てきたついでに、都心の自転車ショップを訪れていた。
「先にって……おい」
 答えず、バーゲン品の冬用ジャージの入ったショップバッグを投げ渡して、東堂は信号が青に変わるのと同時に走り出した。背後で叫ぶ友人の声に、門限までには戻ると叫び返して、あとはもう振り返らなかった。





***





 巻島は喉をそらして短く息を吐きだす。東堂が、指と唇とで同時に刺激する。下半身がむず痒くて体をよじると、気づいた東堂の喉がごくりと鳴った。
 先端を軽く指で包まれる。するすると撫でるかすかな刺激に、足の付け根が緊張して突っ張る。
「お前、それ、やめろ。ちゃんと触れショ」
「悪いが聞かんよ。オレの好きなようにさせてもらう」
 東堂は宣言すると、鳩尾から臍、下腹とさらに下って行き、はくん、と飲み込んだ。
「あっ……あ……!」
 背中がピンと緊張する。吸われ、弄られ、そこから熱が体全体に広がっていく。顔が熱い。巻島は首をよじり歯を食いしばる。顔にかかった髪をかきあげるとそのまま両手で覆う。膝を立てて開いた部分には東堂の体がおさまっていて、粘液を啜る音がしている。腰が揺れ、太腿は緊張して震える。
 裏側から撫でていた手のひらが動いた。尻を少し開くように掴まれると、じゅく、と溢れ出すのがわかった。東堂は容赦なく吸い上げて、唇を上下させて追い上げていく。強められた刺激が苦しく、巻島は腰を跳ね上げて逃れようとしたが、腰骨を強く掴まれて押さられる。
こいつひでえ。ひでえショ。声を出さずに詰る。あんなに子供だったのに。自分では何一つ決められずに震えていることしか出来ない子供だったのに、すっかり大人になっちまって。そうして、巻島は震えて、ただ暴かれ、乱されることしか出来ない。
好きにさせろと言われた瞬間、そうされたい、と思ってしまった。したい気持ちも当然あったが、東堂がどうするのか見てみたくなった。恋だという、その気持ちがこの行為の上でどういった姿をあらわすのか、知りたかった。